こやすてんまんぐう すがわらじんじゃ
東京都豊島区北大塚1-7-3
御由緒:室町時代の天文年間(1532~1555年)に仁平三河守盛義が三河国から当地に移住し、谷端川のほとりに陣屋を構え、巣鴨村の立始、新田開墾に寄与し、1571(元亀2)年に没する。 その子息・徳..
御由緒:室町時代の天文年間(1532~1555年)に仁平三河守盛義が三河国から当地に移住し、谷端川のほとりに陣屋を構え、巣鴨村の立始、新田開墾に寄与し、1571(元亀2)年に没する。 その子息・徳右衛門は保坂姓を名乗り、以後保坂氏は代々巣鴨村の名主を務めた。 盛義は邸内の東西南北に屋敷神を奉斎しており、北に氷川神社、南に熊野神社(大塚天祖神社境内へ遷座)、西に稲荷神社、そして東に勧請したのが当社とされる。 江戸時代には巣鴨・真性寺(現・巣鴨3-21-21、江戸六地蔵第四番)が別当となり、社地周辺の土地は当社に由来して天神山と称されていた。 江戸惣鹿子名所大全、須原屋茂兵衛版分間江戸大絵図等にも掲載され、江戸名所図会・巻之四の巣鴨真性寺の遠景にも描かれている。
菅原道真公、宇迦之御魂神
旧無格社