なみおかはちまんぐう
青森県青森市浪岡大字浪岡林本121−2
坂上田村麻呂が東夷東征の際、この地に宇佐八幡宮の分霊を勧請して国家鎮護の祈願を行い祠を建立したのが始まりと言われている。以来、歴代領主から信仰され、中世は浪岡城主となった北畠氏から崇敬庇護され社殿の..
坂上田村麻呂が東夷東征の際、この地に宇佐八幡宮の分霊を勧請して国家鎮護の祈願を行い祠を建立したのが始まりと言われている。以来、歴代領主から信仰され、中世は浪岡城主となった北畠氏から崇敬庇護され社殿の修復や社領の寄進が行われ祭祀には家老赤松隼人が取り仕切っていた。江戸時代に入ると弘前藩主である歴代津軽家の祈願所となり慶長19年(1614)に2代藩主津軽信枚が社殿を再建以降、寛永、元禄、寶暦、寛政、嘉永の改修には藩費によって賄われた。明治時代に入り郷社に列し、昭和13年には県社に昇格。
應神天皇(誉田別尊)御一座
大同2年(807)
一月一日 歳目祭 一月十五日 古神札焼納祭(どんと祭) 四月十五日 春季大祭 八月十四日 宵宮祭 八月十五日 例大祭・ 泣き相撲大会 八月十六日 戦没者慰霊祭 十二月一日 秋季大祭