かるのじんじゃ
愛媛県松山市姫原奥ノ谷1
往昔、斯多那岐宮ともいい姫原社とも称えたという。 社記によれば昔、允恭天皇皇女軽太郎比売が斯多那岐宮に在り、その地に薨じたのを後の森に葬り古塚と称した。姫墓所の三字を刻んだ石塔は現存し、その傍らに..
往昔、斯多那岐宮ともいい姫原社とも称えたという。 社記によれば昔、允恭天皇皇女軽太郎比売が斯多那岐宮に在り、その地に薨じたのを後の森に葬り古塚と称した。姫墓所の三字を刻んだ石塔は現存し、その傍らに木梨軽太郎の墓を並べ、霊社を吉原郷山田に建てて当社へ御分霊を合祀したという。 河野、久枝、野田、野畠、光宗、森等の諸氏の尊崇厚く、再々神殿を改築したと伝えられている。 また「古事記」には、紀元435年、允恭天皇の皇太子木梨軽太子は、実妹・軽大郎女と許されない恋におち、太子は伊予の湯に流された。姫は恋しくてたまらず追いかけて来たが、二人はついに、この地で亡くなられた。との有名な悲恋物語があり、当神社より奥の山裾に二人の塚と言われる比翼塚がある。
松山市姫原町に鎮座する神社である。
軽太子 軽皇女
4月28日 例祭
比翼塚
伊予鉄市内線・本町六丁目から徒歩17分 姫原バス停から徒歩8分。
無料
無し