たいへいじ
京都府京丹後市久美浜町壱分901
当寺の創建は平安時代後期ですが、栄枯盛衰があり、元応元年(一三一九年)山城国東寺に在院の恵光法印が中興の祖と云われています。 寺伝によれば、恵光法印が京都より観音像を背負い、但馬の国城崎温泉に来..
当寺の創建は平安時代後期ですが、栄枯盛衰があり、元応元年(一三一九年)山城国東寺に在院の恵光法印が中興の祖と云われています。 寺伝によれば、恵光法印が京都より観音像を背負い、但馬の国城崎温泉に来られ、滞在すること数日、世間の噂を聞くと、壱分村の太平谷(おおなるだに)弘法大師御霊泉湧出の地でご祈祷された霊域であって爆泉の源にご自作の不動明王を安置された霊域であることを知り、急ぎこの地を訪れ、日々太平谷を逍遥して不動尊を礼拝祈願されました。この谷の形や、人里離れること二十五丁、樹木繁り昼も尚暗くて観音様を安置するのにも相応しい場所であると考えられて、この太平谷の極楽のなるに御堂を建立して、持参した観音像を安置されました。 その後、天正年中(一五七三年)兵火により全ての堂宇を焼失し、移転することになり、山形寸本松圓院、古壱分寺、新福寺全て合併して現在地に移築し、太平寺を泰平寺と改めたといわれています。天明年中(一七八一年)再び焼失し、文政六年(一八二四年)城崎温泉寺塔中、中性院の古い建物を譲り受け移築したのが現在の建物(約四五〇年前の建物)です。
極楽山
高野山真言宗
地蔵菩薩
近畿楽寿観音霊場第2番札所
甲山駅 から徒歩35分(2.8km)
無料
有り