そうせいじ
東京都中野区上高田1-27-6
宗清寺の前身は牛込原町・松雲寺と、同区喜久井町・浄泉寺を明治40年5月23日付で移転。両寺を合併して松雲寺と号した。 大正2年宗清寺と松雲寺が合併して、芝松坂町より現在の地に移転し、松雲山宗清寺と..
宗清寺の前身は牛込原町・松雲寺と、同区喜久井町・浄泉寺を明治40年5月23日付で移転。両寺を合併して松雲寺と号した。 大正2年宗清寺と松雲寺が合併して、芝松坂町より現在の地に移転し、松雲山宗清寺と号して現在に至る。 墓地には、水野忠徳(1810-1868・明治元年7月9日.58才没)の墓がある。忠徳は幕末の外交に活動した幕臣、五百万石取の旗本であり、筑後守、下総守となった人物である。 忠徳はまた、浦賀奉行、長崎奉行、勘定奉行、目安家老、外国奉行、軍艦奉行、函館奉行など、要職を歴任、開明的な能吏として幕政改革と外交上の難件処理に手腕を振い、列国との条約、調印や横浜開港の衡にあたった。 文久瓦年5月には、目付・服部帰一を伴ない小笠原に上陸し「日本領土」であることを宣言した。安政元年、露国ブチャチンと千島の国境を決定している。
松雲山
曹洞宗
元和年間(西暦1615年)
釈迦牟尼仏
暘谷慶厳大和尚
JR中央線・地下鉄大江戸線・東中野駅下車10分 地下鉄東西線・落合駅下車10分