ほうふくじ
東京都中野区南台3-43-2
聖徳太子が諸国を巡遊された時、紫雲たなびくこの地を霊地として堂を建立し、如意輪観音像を奉安し、国家安穏をお祈りされた時にあり、その後、聖武天皇の時代に信行大僧都がこの地に来て住し、霊感によって上宮聖..
聖徳太子が諸国を巡遊された時、紫雲たなびくこの地を霊地として堂を建立し、如意輪観音像を奉安し、国家安穏をお祈りされた時にあり、その後、聖武天皇の時代に信行大僧都がこの地に来て住し、霊感によって上宮聖徳太子孝養の像を刻んでおまつりし、救世菩薩行を実践して人々を教化されたと伝えられている。それ以来、時代の流れの間に香華を棒げる浄侶もいない状態となったものの、上下言聖徳太子の名にちなむ上の山の地名が伝っていた。 寛元のころ守海上人が来って諸堂を改修し、中興第1世と称せられた。また正徳年問、第16世栄雅権大僧都が当地の秋元氏に生まれ、修行の末に秘法の伝授を受け、歓喜すること限りなく、本堂を改築し、法流を開基し、門前に等身大の石地蔵を造立した。 さらに天保年問、栄勝法印が客殿を建立、昭和9年弘法大師のご遠忌を記念して観音堂が改築された。 この問、中野観音といわれ遠近の人々の信仰厚く、現在に至っている。
如意輪山
真言宗
豊山派
聖徳太子(本堂)/如意輪観音(護摩堂)/不動明王(納骨堂)
中野観音
江戸三十三観音霊場17番
地下鉄丸の内線・方南町駅下車5分
境内にスペース有り
簡易トイレ有り