やこうひえじんじゃ
神奈川県横浜市鶴見区矢向4ー16ー2
当社は寛永十五年(1638)の創立といわれ、山王大権現と称せられ、矢向村、市場村、江ヶ崎、塚越村、古川村、上平間村の七箇村に及び崇敬された社である。別当寺の最願寺所蔵の棟札によれば、寛永十二年、寛文..
当社は寛永十五年(1638)の創立といわれ、山王大権現と称せられ、矢向村、市場村、江ヶ崎、塚越村、古川村、上平間村の七箇村に及び崇敬された社である。別当寺の最願寺所蔵の棟札によれば、寛永十二年、寛文三年、延宝五年、宝永三年、享保十年、天明二年、文化七年、天保十四年の造営(屋根葺替)は七箇村によって行われた。地区内の神田耕地は社領の一部であった。天保の末年に格村分離し、矢向一村の鎮守となった。住持鶴見川六郷川の洪水により、古記録、宝物類を流失し、現在天保年間に作られたと思われる大神輿一基がある。明治六年村社に列し、日枝神社と改称、地区内の小社を合祀した。大正十一年十一月十四日神饌幣帛料共進社に指定され、昭和三十八年八月大修築が行われた。
当社は寛永十五年(1638)の創立といわれ、山王大権現と称せられ、矢向村、市場村、江ヶ崎、塚越村、古川村、上平間村の七箇村に及び崇敬された社である。別当寺の最願寺所蔵の棟札によれば、寛永十二年、寛文三年、延宝五年、宝永三年、享保十年、...
大山咋命 ( おおやまくいのみこと ) 天御中主神 ( あめのみなかぬしのかみ ) 豊受比売命 ( とようけひめのみこと )
寛永十五年(1638)