りゅううんじ
東京都世田谷区野沢3-38-1
龍雲寺は元禄十二年(1699年)、盤珪禅で有名な大法正眼国師 盤珪大和尚(だいほうしょうげんこくし ばんけいだいおしょう)の法嗣、特賜大慈妙應禅師 節外大和尚が、麻布の光林寺から隠居するために現在の..
龍雲寺は元禄十二年(1699年)、盤珪禅で有名な大法正眼国師 盤珪大和尚(だいほうしょうげんこくし ばんけいだいおしょう)の法嗣、特賜大慈妙應禅師 節外大和尚が、麻布の光林寺から隠居するために現在の龍雲寺墓地付近(現在の旭小学校敷地内)に寺領三十町歩を有する大澤山龍雲寺を建立したのに始まります。本尊は盤珪国師作の聖観世音菩薩といわれています。諸堂伽藍が完備し、禅宗寺院として様相が整ったのは、二世霊源和尚の時であります。 安政二年(1855年)、大地震のため伽藍は大破し、復旧が不可能となり、当山の別院でありました野澤三ノ四十番地(現環状七号線沿線)に移りました、その後無住時代が続いたために復興ははかどらず、また記録は悉く紛失して荒廃に帰してしまいました。その後明治三十年以来、第九世禅海和尚などにより徐々に修復し、禅寺の体裁を整えて来ましたが、龍雲寺伽藍の復興は歴代住職の悲願でありました。そして第十世宗源和尚の代になって復興を決意、野沢三ノ三十八ノ一の現在地に約2,000坪を確保しました、松、公孫樹等を植え、それを守り育てて三十年、遂に昭和38年に起工。昭和40年には鉄筋コンクリート平屋造りの本堂をはじめ、山門、鐘楼、庫裡の諸堂を完成し、輪奐を新たにしました。 次いで、昭和49年には木造建築による客殿が完成しました。
大澤山
臨済宗
妙心寺派
元禄十二年(1699年)
野沢龍雲寺
世田谷三十三観音霊場 十七番