いまみやじんじゃ
栃木県鹿沼市今宮町1692
釋勝道上人は、人皇第四十八代称徳天皇神護景雲元年丁未、二荒山開闢の大願を発起し、懸身山嶽跋渉されましたが容易に絶頂に到達することができませんでした。人皇第五十代桓武天皇の延暦元壬戌年3月に、漸く大願..
釋勝道上人は、人皇第四十八代称徳天皇神護景雲元年丁未、二荒山開闢の大願を発起し、懸身山嶽跋渉されましたが容易に絶頂に到達することができませんでした。人皇第五十代桓武天皇の延暦元壬戌年3月に、漸く大願成就されました。当時鹿沼にも霊地を発見し同年6月20日、社地を定め(御所の森)、9月9日、社殿全く完成しました。則ち日光三社(大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命を祀る)を鎮斎し、日光今宮大権現と号しました。 鎌倉時代は押原六十六郷の総鎮守として大いに御神威を輝かして、日光総政所の棟札を納められ、又正応5年壬辰5月、当時総政所の要職にあった鹿沼権三郎入道教阿と清原氏は日光新宮社前に唐銅燈篭一基(お化け燈篭)を奉献しました。 天文元年(1532)、壬生下総守綱房が坂田山に築城し、同城の鎮守として同3年、御所の森より現在の社地(城の曲輪内)に遷座配祀し、今宮大権現と呼称しました。徳川幕府に至って圭田50石を、更に御朱印御証文を交付されたことも記録に明記され、いかに高い格式を有したかを物語っています。 その間歴代の領主は特に崇敬篤く、安永4年、宇都宮藩戸田家の領地になりましたが、御神威は益々高揚され、明治5年には郷社に列せられ、次で昭和6年9月3日には県社に昇格され神威赫々たるものがありました。 終戦後は神社制度の改廃に伴い民主的な神社として遠くからも崇敬者の参拝が日に増しにぎわいを極めている現状であります。
大己貴神・田心姫神・味耜高彦根神
延暦元年782創建
10月9-10日 例大祭に行われる鹿沼今宮付け祭りは国指定重要無形民俗文化財となっている。
JR日光線鹿沼駅からバスで5分 東武日光線新鹿沼駅から徒歩約15分
有り
無し