おきくいなりじんじゃ
群馬県高崎市新町247
創建年代は不明である。1582年(天正10年)の神流川の戦いで、後北条氏に勝利をもたらしたことから、社殿が整備された。 当社は中山道の新町宿の中にあり、遊女や飯盛女が多くいた。彼女らが奉納した絵馬..
創建年代は不明である。1582年(天正10年)の神流川の戦いで、後北条氏に勝利をもたらしたことから、社殿が整備された。 当社は中山道の新町宿の中にあり、遊女や飯盛女が多くいた。彼女らが奉納した絵馬が現在も残っている。 宝暦年間(1751年 - 1764年)、新町宿に「於菊」という美しい娘がいた。ところが重病に罹り療養生活を送っていた。於菊が当社に病気平癒を祈ったところ、病気が治り元気になった。その際に「人のために尽くせ」という霊夢を見、後の半生を当社の巫女として生きることになった。於菊は予知能力を授かり、様々な物事を言い当てるようになった。そのことが評判を呼び、いつしか「於菊稲荷神社」と称されることになった。
於菊稲荷神社の「於菊」とは、江戸の中期に新町宿で一番人気だった娼妓「大黒屋於菊」の名から来ています
宇迦之御魂、大己貴命、太田命、大宮姫命、保食命
○於菊稲荷神社水屋 附手水鉢石(高崎市指定重要文化財 昭和55年1月10日指定)[4] ○於菊稲荷神社絵馬二面(高崎市指定重要文化財 昭和55年1月10日指定)
新町(群馬県)駅出口出口から徒歩約9分
有り。