れいめいじんじゃ
京都府京都市東山区清閑寺霊山町25-25
文化6年(1809年)天皇家に仕えていた村上都愷が我が国の古道たる随神の道(かんながらのみち)を世に広めんとし、幾多の困難辛苦の中で東山は霊山に神道葬祭場を開拓し、神道墓地を創設したのが始まりである..
文化6年(1809年)天皇家に仕えていた村上都愷が我が国の古道たる随神の道(かんながらのみち)を世に広めんとし、幾多の困難辛苦の中で東山は霊山に神道葬祭場を開拓し、神道墓地を創設したのが始まりである。 文久2年(1862年)11月長州清末藩国学者船越清藏守愚の墓地を建立。続く12月古川躬行、福羽美静らの発起にて安政の大獄以降の「報恩忠死の霊魂祭」(私祭による我が国最初の招魂祭)を執り行い、「霊山の村上が為す皇国の手振りにて葬られる事を如何に楽しとせし事ぞ」と尊皇攘夷志士たちの聖地となり、幕末殉難志士を霊明神社神道墓地に祀って、志士の諸霊を慰め奉ってきた。明治元年の太政官布告による官祭招魂祭まで志士を慰霊する祭祀が続いた。現在は、ほとんとの志士の墓地の管理を京都霊山護国神社が引き継いでいる。
天之御中主尊・熊野三柱大神・菊理媛命・速玉男命・事解男命
1809年
■歳旦祭 1月2日 ■春の慰霊祭 春分の日 ■秋の慰霊祭 秋分の日 ■幕末維新殉難志士慰霊祭 7月19日(直前の日曜日)
近くの霊山護国神社の駐車場(有料)
無し