たつぬまいなりじんじゃ
東京都足立区辰沼2-15-7
辰沼稲荷神社 祭神は蒼稲魂命です。すでに、江戸時代後期には、辰沼新田の鎮守でした(「新編武蔵風土記」)。当社創建について、次のような伝説が伝わっています。隣村の久左衛門新田の鎮守神明社(後の天祖神..
辰沼稲荷神社 祭神は蒼稲魂命です。すでに、江戸時代後期には、辰沼新田の鎮守でした(「新編武蔵風土記」)。当社創建について、次のような伝説が伝わっています。隣村の久左衛門新田の鎮守神明社(後の天祖神社:神明天祖神社)にある稲荷社が、ある時、洪水で押し流されてしまい、水が敷いてから村人が捜し歩くと、辰沼に流れ着いていたのをみつけました。稲荷神が選んだのがこの地だろうということになり、社を創建したのが、今の辰沼稲荷神社だということです。 梵天祭 毎年4月8日には、境内で、昔から辰沼に伝わる行事として梵天祭が行われています。梵天とは御幣や幣帛の別名で、山伏や行者が「ボンデン」と呼んでいました。現在「梵天」の字をあてていますが、民俗学では神様を招くため目立つという意味をさす「ホデ」に由来すると考えられています。 この祭り由来は、江戸時代のある時、辰沼新田に山伏の行者がやってきて、村に疫病でも流行したのか厄除に梵天祭りをするようにと勧められ、始められたと伝えられています。かつては、毎年4月8日に御幣を飾った梵天棹をかついで1軒1軒の門口で拝みながら村内を回り、村の入口にこの棹をたて祈祷していました。現在では、梵天棹をみんなで作り、辰沼稲荷神社拝殿に登り、神仏を拝むと、棹を担いで神前の道路まで出て、そこに梵天棹を立て祈祷を行い、その後、本殿後ろの大イチョウの前でも祈祷を繰り返し、それから梵天棹を社前の所定の場に飾り、祭を終え、集まった人びとは直会(神事の後の宴)に入りました。梵天は現在も20軒余りの家庭の軒に飾り、家の厄払いを祈って飾られるといいます。(新編武蔵風土記稿より)
創建年代は不詳ですが、辰沼新田村の鎮守社だったと言われます。
倉稲魂命
不詳
足立区指定第248号 保存樹木「いちょう」
東京メトロ千代田線「北綾瀬駅」より徒歩20分
無し