さくたじんじゃ
福岡県那珂川市山田1464-1
日本書紀には、神功皇后が三韓征伐から凱旋した際、現人神社の神々へのお礼のため神田を灌漑するため裂田溝(さくたのうなで)造ったとの記述がある。裂田溝の工事中、巨岩に突き当たり中断した。そこで神功皇后が..
日本書紀には、神功皇后が三韓征伐から凱旋した際、現人神社の神々へのお礼のため神田を灌漑するため裂田溝(さくたのうなで)造ったとの記述がある。裂田溝の工事中、巨岩に突き当たり中断した。そこで神功皇后が武内宿禰に命じて天神地祇を祀り祈りを捧げたところ 雷が落ちて岩が裂けたため再び工事を行うことができたとの事から「裂田の溝」と呼ばれるようになったという。1600年前に作られたこの裂田の溝は、現在もそのままの形で灌漑に用いられている。現在その場所には裂田神社という神社が祀られており、落雷によって裂けたという岩も現存する。
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