とうぜんじ
神奈川県横浜市鶴見区潮田町3-144-2
浜風漂う下町情緒豊かな潮田の地に建立された金胎山東住院東漸寺は、真言宗智山派に属する寺院です。 玉川八十八ヶ所霊場 第七番札所、新四国東國霊場第十一番札所、東海観音霊場第三十番の札所になっていま..
浜風漂う下町情緒豊かな潮田の地に建立された金胎山東住院東漸寺は、真言宗智山派に属する寺院です。 玉川八十八ヶ所霊場 第七番札所、新四国東國霊場第十一番札所、東海観音霊場第三十番の札所になっています。 本堂にはご本尊 金剛界大日如来を安置し、その側に霊場のご本尊である薬師瑠璃光如来を始め、日光・月光菩薩、十二神将、阿弥陀如来が鎮座されています。 また不動堂には潮田不動として不動明王が安置されてます。 境内には六地蔵や庚申塔が並び、墓所には潮田観音霊廟という永代供養墓があり、その中央に東海観音霊場のご本尊である聖観世音菩薩がお立ちになられています。 東漸寺は、醍醐三宝院の勝覚法印が、寛治元年(1087年)に開基されたと伝えられています。 しかし、いつの時代か、回禄の災い(=火災)に遭い、堂宇、什寶、古文書などことごとく焼失したため、沿革については不明ではありますが、江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記、またその他の地誌類や寺伝によると、東漸寺は村の中央にあり、新義真言宗に属し、古くは藥王山東壽院と号したと記されています。また伽藍においては本堂、鐘楼堂、薬師堂、天満宮、地蔵堂、大門などがそびえていたといわれています。 江戸時代には、本堂は、八間に五間の南向きにあって、ご本尊は江戸初期の作である大日如来の坐像を安置していたという記録があります。 また、横浜市史稿によると、本堂は六間に五間、亜鉛葺、四柱造で、大正12年(1923年)9月1日 震災(関東大震災のこと)により倒壊と記載があり、風土記編纂後にも倒壊し、関東大震災においても倒壊している様子が伺えます。 しかし同15年、法印 森岡惠寶により再建されるが再び戦災にあい焼失。 戦後、森岡隆宥和尚により昭和29年に再建され、昭和48年に慶讃法要を奉修。 現在の本堂は平成8年に中興第二十世 森岡隆冲大僧正により建立されたものとなります。 このように東漸寺は幾度となく倒壊という厄に遭ってきましたが、ご本尊だけは歴代の住職が守り通して、今日に至っています。
金胎山
東住院
真言宗
智山派
金剛界大日如来
寛治元年 (1087年) 醍醐三宝院 勝覚法印
金胎山 東住院 東漸寺
玉川八十八ヶ所霊場 第7番札所 新四国東國霊場 第11番札所 東海三十三観音霊場 第30番札所