ことひらじんじゃ
茨城県⽯岡市国府6-2-1
平安時代中頃に、桓武天皇の曾孫である平高望(たいらのたかもち)王から国香(くにか)・貞盛(さだもり)らが常陸大掾(ひたちのだいじょう)という官職を得て国府に着任して以来、そのまま土着して勢力基盤を築..
平安時代中頃に、桓武天皇の曾孫である平高望(たいらのたかもち)王から国香(くにか)・貞盛(さだもり)らが常陸大掾(ひたちのだいじょう)という官職を得て国府に着任して以来、そのまま土着して勢力基盤を築き上げると、平氏ゆかりの神社として森の祭祀が継承されるようになりました。 森は「大森太明神」と尊称され、歴代の平氏の子女が祭主となって神役に勤仕していたと伝えられます。 また森には、森の祭祀に従事する平氏の御殿「森木殿」があり、神仏混淆であったその時代には森木寺や八大寺という寺院が付属していました。 天正18年(1590)、戦乱と兵火の中に巻き込まれて、森は壊滅し、六百有余年の長期間にわたって当地を支配していた常陸平氏も滅亡しました。 その後、平氏の後裔である別当八大院によって神社が復興されております。
大物主神 崇徳天皇 経津主命
千代田石岡IC 3km (国道6号 国府7丁目交差点 歩道橋下のY字路を左に入る) 石岡小美玉スマートIC 4km
30台