いやさかじんじゃ
大阪府東大阪市中小阪2丁目3−22
神社は旧大和川支流の東岸近くに位置し、もとは牛頭天王と称されていました。創建年代は不明ですが、伝えによれば天正の頃、石山合戦により村落とともに焼失したと伝えられています。その後、慶長5年に片桐且元よ..
神社は旧大和川支流の東岸近くに位置し、もとは牛頭天王と称されていました。創建年代は不明ですが、伝えによれば天正の頃、石山合戦により村落とともに焼失したと伝えられています。その後、慶長5年に片桐且元より社地を拝領し社殿を再建したと宮の記録に記されています。明治5年に現在の社名に変わりました。境内には文化二年(1805)に手水鉢、旧社名の牛頭天皇宮と刻む享保十三年(1728)の燈籠、文政十一年(1828)の狛犬等があります。また、境内には旧大和川支流の堤防上に生えていた樹木が数本残り、いずれも堤防の土が取り去られたため、土中にあった根が浮き上がっています。
素盞鳴命 天穂日之命