ひじおかてんまんぐう
兵庫県伊丹市鋳物師1-104
祭神の菅原道真公(845~903)は、平安時代中期の学者の家系に生まれた。政治家としても腕をふるい、右大臣にまで登り詰めたが、藤原氏の陰謀により突然九州に左遷された。 醍醐天皇の延喜元年(901)..
祭神の菅原道真公(845~903)は、平安時代中期の学者の家系に生まれた。政治家としても腕をふるい、右大臣にまで登り詰めたが、藤原氏の陰謀により突然九州に左遷された。 醍醐天皇の延喜元年(901)、公が左遷の道中、当地に立ち寄り臂を枕に休息されたので、以後、この岡を臂岡と呼ぶようになったという。 公はこの地を去るとき、「吾れ赦免となって生らば此の地を繁昌の霊地ととなすべし」との誓いを立てて、九州に下られたが、許されることなく、延喜3年(903)に59歳で築紫の安楽寺にて逝去された。 没後90年を経た一条天皇の正暦4年(993)になって赦免され、正一位太政大臣の官位が贈られた。 そのことを公の霊前に報告のため、筑紫に下った勅使が帰京の途中、生前公が聖地繁昌を誓われたことに因み、この地に社を建てて公の自画像を納めたのが当宮の起こりとされている。 当宮は、北村鋳物師にあるところから「いもじの天神」ともいう。
菅原道真公、応神天皇、外五柱
延喜年間(901~923)
いもじの天神
JR宝塚線 北伊丹駅 から徒歩13分 阪急バス 坂ノ下バス停 から徒歩3分 伊丹市バス 県高前バス停 から徒歩4分
無料
あり