こうえんじひかわじんじゃ
東京都杉並区高円寺南4丁目44-19
江戸名所絵図によれば、その昔、源頼朝による奥州征伐時に、武藏国杉並の地に至り給り際、隋兵の中に高円寺村にとどまり、終に農民となる者あり。 一説によれば、村田兵部稟云々ともいわれ(因みに村田姓は高..
江戸名所絵図によれば、その昔、源頼朝による奥州征伐時に、武藏国杉並の地に至り給り際、隋兵の中に高円寺村にとどまり、終に農民となる者あり。 一説によれば、村田兵部稟云々ともいわれ(因みに村田姓は高円寺の旧家なり)、その時、武蔵国大宮高鼻の本社よりの御神意の使者が同氏に伝え、この高円寺村の位置高く採松杉繁多し遠く木田を望みて風致絶佳とされる当地に社殿を建立したのが起源といわれている。従って農業の神とされている。 大正6年8月15日編纂の東京府豊多摩郡神社詩によれば、当社は古来、高円寺村小名原の鎮守にして旧時曹洞宗高円寺別当職として奉仕せり。高円寺は往年数回々禄の災いあり。 旧記を焼火して社伝明らかならざるも口碑によれば、天文の頃、高円寺創建と同時に瓶記されたるものなりと云う。 明治維新後、別当職を廃し、明治7年4月3日、社格を村社に被定し、同40年5月4日、神饌幣帛料供述神社に列し、同40年12月26日、会計規則適用方指定せられたり、太平洋戦争後、即ち昭和20年8月15日以降は宗教法人氷川神社となり現在に至る。 (HPより)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
旧村社
JR 高円寺駅 徒歩約2分 東京メトロ 新高円寺駅 徒歩約9分
無料