いわくらじんじゃ
岡山県倉敷市日畑203
かつては吉備津宮七十二末社の一つとされており、吉備津彦命が吉備へ下向の際、片岡の伊佐穂が稲を栗坂の里(現・倉敷市栗坂。昔は早島という島)で刈り、軍卒に命じて船に積ませて北に向かったが潮が急で運ぶこと..
かつては吉備津宮七十二末社の一つとされており、吉備津彦命が吉備へ下向の際、片岡の伊佐穂が稲を栗坂の里(現・倉敷市栗坂。昔は早島という島)で刈り、軍卒に命じて船に積ませて北に向かったが潮が急で運ぶことができず、船を廻して西の岬に停泊させ、稲を積み上げて兵糧として献上した功によって大稲船の名を賜わったという。そして、潮の急だったところを瀬口、稲を積んだところを稲倉と名づけたが、後年、泥砂が流れ落ちて突き立った巌やがあらわれたことから、それが訛って岩倉といったとされる。そして、仁徳天皇の御代(313年~399年)に、勅して吉備津宮の五社七十二宇が創建されたが、この時、岬に一宇を建立した。その後、元禄年間(1688年~1703年)に再興され、明和5年(1768年)並びに安政年間(1854年~1859年)にも再建し、現在に至る。 http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=%208235 より引用
当社は仁徳天皇の御代に吉備津宮の五社殿を創建したとき、この岬に社殿を創建したと伝われている。 吉備津彦命が吉備国に下向のとき、片岡の伊狭穂が栗坂の里で、稲を苅って軍卒に命じて船に積み北に向かったが、急流なので船を廻して、西の岬に荷...
大稲船命(吉備津彦命が吉備に向かった時、船に米を献上した神)
旧村社
5月10日:祈年祭 10月第2土、日曜日:例祭
JR吉備線 吉備津駅より徒歩約40分 JR山陽本線 庭瀬駅より徒歩約40分
無し