たかだそうちんじゅひかわじんじゃ
東京都豊島区 高田2丁目2番18号
氷川神社の創建は、武蔵国一宮の氷川神社を当地に分霊したことに始まるといわれる。祭神は、素盞嗚命・奇稲田姫命・大巳貴命(大国主命)の三柱で、平安時代の歌人、在原業平(六歌仙の一人)も参拝したと伝えられ..
氷川神社の創建は、武蔵国一宮の氷川神社を当地に分霊したことに始まるといわれる。祭神は、素盞嗚命・奇稲田姫命・大巳貴命(大国主命)の三柱で、平安時代の歌人、在原業平(六歌仙の一人)も参拝したと伝えられる。 「江戸名所図会」(天保5・1834年刊)などの地誌によれば、当神社は、江戸時代には氷川大明神と呼ばれ、下高田村(豊島区高田・雑司ヶ谷・目白・文京区目白台)の総鎮守として信仰を集めていた。 また、当神社の主神が素盞嗚命であることから、俗に「男体の宮」といわれ、奇稲田姫命を主神とする落合村(新宿区下落合)の下落合氷川神社の「女体の宮」と合わせて、「夫婦の宮」と呼ばれていたという。 明治時代には氷川神社と改称し、第二次世界大戦中には、昭和20年4月13日の空襲により、境内の建物と宝物の大半が焼失した。現在の社殿は昭和29年に再建されたもので、境内には神明神社・高田姫稲荷神社・道祖神社も祀られている。 毎年正月には、弓矢で的を射って災難除けを祈願する「御奉射祭(おびしゃさい)」が江戸時代より行われ、現在は成人の日に執行している。 なお、寛政2年(1790)に鳥羽藩主稲垣対馬守が寄進した鳥居・狛犬(文化4・1807年奉納)、石燈籠(明治11・1878年奉納)、玉垣が、平成3年(1991)に豊島区登録文化財となった。(豊島区教育委員会掲示より)
素盞嗚命
東京メトロ副都心線「雑司が谷駅」より徒歩10分 都電荒川線「面影橋停留所」より徒歩3分
9:00~16:30
無料
10分
なし