おおがきだいじんぐう
岐阜県大垣市郭町1丁目97
明治維新に際し、諸制度一新せられ祭政一致を理想とし明治三年正月に大教宣布の詔が下り翌四年五月神社は国家の宗̪祀とせられ、同五年四月東京に神宮大教院、各府県に神宮中教院又は神宮小教院が設置されること..
明治維新に際し、諸制度一新せられ祭政一致を理想とし明治三年正月に大教宣布の詔が下り翌四年五月神社は国家の宗̪祀とせられ、同五年四月東京に神宮大教院、各府県に神宮中教院又は神宮小教院が設置されることになった。 大教とは維新志士や国学者の流れを組み 第一条 敬神愛国ノ旨ヲ体スヘキコト 第二条 天理人道ヲ明キスヘキコト 第三条 皇上ヲ奉載シ朝旨ヲ遵守セシムヘキコト の三条からなる。神官儒家等を「教導職」に任じ広く国民に教える運動を行った。 明治十四年十二月大垣大神宮は、招魂社(現 濃飛護国神社)境内隣接地に神宮の天照皇大神の御分霊を遷し奉り、大神宮遥拝殿を基として神宮奉斎神道教化と大麻頒布の使命を担い神宮奉斎会大垣本部事務局として信仰の対象とせられるに至った。 昭和二十一年、神宮奉斎会など三団体が母体となり神社本庁が設立されると、その業務を神社庁に移し、神殿は同年十一月「大垣大神宮」として神社本庁に包括された。 (大垣大神宮の沿革から引用)
明治十四年神宮教院第十七教区本部教会所を当所に設置し、同年十二月十日伊勢神宮御分霊奉戴々十四年鎮座せらる。翌十五年三月十一日神宮祭主久邇宮朝彦親王殿下御東上の砌当本部へ御参拝あらせらる。
主神:天照皇大神 配社:豊受大神
明治14年(1881年)
例大祭:10月17日 月次祭:毎月1日、15日
無し