平安時代中期の天台宗の僧、善寳寺開基龍華妙達上人は、出羽国(現在の山形県)の庄内平野の南の山に天暦五年(九五一)の秋、龍華寺という草庵を開き、もっぱら『法華経』を読誦していたと伝えられる。
天暦九年(九五五)に五穀断ちをして、入定修行に入り、七日後にこの世に蘇ったといわれている。入定後、妙達上人は閻魔王の都に召されて、「汝は『法華経』をよく読み、煩悩なし。速やかに帰るべし」と云われ、この世に帰された。
妙達上人は帰る前に父母に会いたいと申し上げると、「父母は地獄にあり苦しんでいる。父母の罪を抜くために功徳を積みなさい」と、閻魔王は言い、さらに人間の死後の様々な様子を見せてくれた。功徳を積んだ者は兜率天に生まれ、罪を作りし者は地獄にあり、さらには大蛇、九頭竜に生まれて苦しんでいるものもある。
地獄の苦しみの人々を兜率天に渡す誓願をおこせと閻魔王は申し渡したという。
ある時、妙達上人の所に、龍が現れた。故あって龍の身となった。『法華経』の功徳を受けたいという。龍は妙達上人の『法華経』読誦を聞き、願い叶い、妙達山の麓にある池に身を隠したといわれる。この池が「貝喰の池」で、その龍は「龍神様」であった。
その後、延慶二年(一三〇九)に總持寺二祖、善寳寺開祖の峨山韶碩禅師は妙達山に巡錫し、妙達上人の坐禅石に坐禅をしていると龍神様が現れたという。
禅師が「三帰戒」を授けると貝喰池に消えたと伝えられている。
峨山禅師より七代後の善寳寺開山太年浄椿禅師は文安三年(一四四七)龍華寺を復興して伽藍建立をはたし、龍澤山と号し、善寳寺と改められた。その受戒会に再度、龍神様が現れ戒脈伝授を願う。
「我は八大龍王の一人なり。ともなえるは第三の龍女なり。さきに妙達上人の甘露の妙典の功徳を受け、更に峨山禅師に参じて戒を受け、ここに太年禅師には授戒で血脈を授けられ、不退転の法楽を得たり。我眷属を率いて尽未来際、この御山を守護せらん。我に祈請するものあらば、必ず心願成就せしめん」と言い終わるや迅雷烈風天地震動、貝喰の池に身を蔵した。
太年禅師は龍王殿を建立し、奥の院の貝喰の池には龍神堂を建立し、龍神様をお祀りし、今日に至る。
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