じんらくじ
奈良県磯城郡田原本町秦庄267
門は珍しい中国風の白色が美しい土蔵門である。 本尊は平安時代作の千手観音。本尊の向かって右に聖徳太子像、左に秦河勝像を安置する。 寺伝では、大化3年(647年)、百済王から贈られ、聖徳太子から秦..
門は珍しい中国風の白色が美しい土蔵門である。 本尊は平安時代作の千手観音。本尊の向かって右に聖徳太子像、左に秦河勝像を安置する。 寺伝では、大化3年(647年)、百済王から贈られ、聖徳太子から秦河勝に下賜された観音を当地に安置したことにはじまる。 大同2年(807年)、唐から帰国した空海が、境内に梵字の「阿」の形の池を作ったとされている。 また、空海はこの寺で「三教指帰」を書いたとの伝えがある。さらに、空海が執筆中、阿字池の蛙が騒がしく鳴き、静かにするように叱ったので、それ以来騒がしく鳴かないという伝説がある。 元亀元年(1570年)に松永久秀が十市郡に進出し寺は一旦灰燼に帰したが、宝暦9年(1759年)恵海が再興した。 方広寺の大仏再建に尽力した僧の恵美が勧進のため描いた大仏画が、昭和54年(1979年)発見されている。 古来より付近は秦氏の居住地で、雅楽の楽人や猿楽にも関係する人たちが居たとされ、門前にある寺の説明板には、 「秦楽とは、秦の楽人である」とある。 能を大成した世阿弥は秦河勝の後裔を自認して「秦元清」と自署しており、近辺の出身である。
高日山
淨土院
真言律宗
大化3年(647年)
十一面千手観世音菩薩立像
秦河勝
宝暦9年(1759年)
恵海
大和北部八十八ヶ所霊場 第84番