とうぎょうあん
山口県下関市吉田1184
「東行」とは高杉晋作の号の意味。慶応3年4月(1867年)に死去した高杉晋作の遺骸は、遺言により奇兵隊の本拠に近いこの地に葬られた。晋作に仕えていた愛人おうの(谷梅処)が出家し、山縣有朋(当時は狂介..
「東行」とは高杉晋作の号の意味。慶応3年4月(1867年)に死去した高杉晋作の遺骸は、遺言により奇兵隊の本拠に近いこの地に葬られた。晋作に仕えていた愛人おうの(谷梅処)が出家し、山縣有朋(当時は狂介)は、草庵「無鄰菴」をおうのに贈った。おうのは1909年(明治42年)に亡くなるまで晋作をこの地で弔ったという。 東行(晋作)の没後100年を前に1966年(昭和41年)に大修理が行われ、同年、東行を顕彰する東行記念館が境内に建てられた。同館は2010年(平成22年)、下関市立東行記念館として再開館した。御朱印については東行記念館の受付で対応する。 山陽花の寺二十四か寺第八番札所。秋には紅葉の名所となる。
東行庵(とうぎょうあん)は山口県下関市にある曹洞宗の寺院で功山寺の末寺である。山号は清水山。山陽花の寺二十四か寺第八番札所。
清水山
曹洞宗
1869年(明治2年)
白衣観音
山縣有朋, 谷梅処
山陽花の寺8番
高杉晋作墓
有り。