当寺は玉雄山寳泉寺と称し福井県の永平寺、横浜鶴見の総持寺を両大本山にあおぐ曹洞宗のお寺で創建は永正十六年(1519)に小田原北条氏の家臣 仙波土佐の守によって相模国高座郡小出村字遠藤(現遠藤)に開創されました。
開創当時の寳泉寺は敷地境内も広大で十七棟の建物からなる大寺院でした。慶長年間の頃、寳泉寺七代住職悦堂大和尚が遠藤東原の湿地帯の原野に人工の排水溝を掘り荒野開拓し遠藤原村を開いた話がある。これはその後も悦堂堀りと呼ばれてきたが、現在は秋葉台中学校の運動場になり、その先も住宅地となって今はみられなくなってしまいました。この地域は引地川支流の小糸川と小出川の二河川の水源池で、池のかしら(現在の秋葉台小学校の運動場)といわれる湿地であったが、悦堂堀の開設の偉業により、このあと三百年にわたって、遠藤地区の穀倉地帯として、住民の生活をうるおして来たのである。しかし大正十二年の関東大震災よりすべての建物は倒壊してしまい当時の面影は見る事は出来ません。
その後、寳泉寺二十八世住職龍紋大和尚が檀信徒の協力を得て昭和元年現在の本堂を向山に創建し現在に至る。今のお寺は間口十間余百十有余坪の大伽藍をはじめ観音堂、金比羅堂,閻魔堂、宝泉大仏、水子地蔵、客殿、庫院から構成されており、現在第三十一世住職によって護持され広く信仰を集めております。