みょうれんじ
神奈川県横浜市港北区菊名2-1-5
当山は、日蓮宗大本山池上本門寺の末寺で長光山 妙蓮寺と申します。お祀りする日蓮聖人のご尊像は、池上本門寺第二祖日朗上人の九鳳(優れた弟子)のお一人、日像上人の作です。 当山は、観応元年今の横浜市神..
当山は、日蓮宗大本山池上本門寺の末寺で長光山 妙蓮寺と申します。お祀りする日蓮聖人のご尊像は、池上本門寺第二祖日朗上人の九鳳(優れた弟子)のお一人、日像上人の作です。 当山は、観応元年今の横浜市神奈川区神明町にあり大経院妙仙寺と称しました。 日蓮聖人に帰依の深かった大檀越である波木井公の一族で伊豆から生麦に移り住んでいた波木井善太郎公は、池上本門寺第三祖日輪上人の熱心な信者でした。 当時日輪上人は鎌倉の妙本寺に住んでおられ、池上本門寺にある日蓮聖人の御廟所に詣でるのを常としておられました。そこで、波木井善太郎公はその往還に宿とする草庵をつくり、日輪上人を請じて開山とし寺と致しました。 後に小田原北条家、徳川家より寺領五石のご朱印を賜りました。 明治41年横浜鉄道臨港線(JR横浜線)の引込み線の敷設に際して大経院妙仙寺は止むなき移転となりました。 当時の住職第41世慈性院日體上人は、池上本門寺の末寺で檀家も少なく不便な地にあって維持困難な浄寿山蓮光寺(現在の妙蓮寺の地)を移転先に選びました。 蓮光寺は天正年間正乗院日運上人が池上本門寺第12世日惺上人を請じて開山とし、自らは第2世となり創設した寺院です。 そして両寺の住職及び檀信徒があいはかり一寺とすることとし、妙仙寺の「妙」と蓮光寺の「蓮」を合わせて、妙蓮寺と改め日體上人が第一世となりました。ときに明治41年8月8日のことです。 妙蓮寺第2世慈開院日偉上人は、大正15年東京横浜電鉄(現在の東急東横線)の開通による境内の軌道敷設に快諾し、妙蓮寺境内を無償で提供しました。ここに妙蓮寺駅ができ、付近一帯の発展に寄与されました。当山はまことに鉄道と縁があります。 昭和44年11月4日、妙蓮寺第3世慈篤院日仙上人は、宗祖御降誕750年を記念し、5年の歳月をかけて現在の本堂・客殿を完成いたしました。さらに昭和50年9月には客殿及び庫裡を増築しました。 そして、当山現住職(第4世 日英)へと引き継がれ現在に至っております。 長年踏切の前に立ち、平成17年に境内に移設された石塔(池上本門寺第68世慈秀院日迦上人染筆)は当山の合併を記念して建立されたもので、朱塗りの山門は池上本門寺の山門を模して作られております。 叉、本堂北脇の小鐘は蓮光寺の什物で享保20年木村將鑑安成作、中庭入口の門は中門として立てられましたが本堂新築の際現在地に移しました。 墓域には開基波木井家の墓碑、大正の米騒動の鈴木辨蔵氏、甘蔗の栽培に努力した新井忠兵衛氏の墓があります。 本堂右手から境内周辺にかけて四季の移り変わりを味わって頂く庭園を設けており、本堂裏手には当地の昔の地名にちなんで「菊池の滝」と 称される落差4メートルの滝があります。 現在境内は人々の憩いの場所として広く開放しています。
妙蓮寺(みょうれんじ)は、神奈川県横浜市港北区にある日蓮宗の寺院。通称、菊名妙蓮寺。旧本山は池上本門寺。池上・土富店法縁。
長光山
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長光山 妙蓮寺
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