ほうせんいん
京都府京都市左京区大原勝林院町187
大原寺勝林院の僧坊の一つとして創建される。『声明目録』を著すなど声明の大家として知られる宗快法印によって嘉禎年間(1235年頃)に創建され、当初は了性坊と呼ばれていた。了性房は文正年中(1466)ま..
大原寺勝林院の僧坊の一つとして創建される。『声明目録』を著すなど声明の大家として知られる宗快法印によって嘉禎年間(1235年頃)に創建され、当初は了性坊と呼ばれていた。了性房は文正年中(1466)まで記録に残るが以降は断絶したとされる。 『両院僧坊歴代記』によれば宝泉坊としての開基は幸淵(1477 - 1559)である。幸淵の名が記録にでるのは元亀2年9月の後土御門院三回忌の御懺法講の記録からであり、これは書院の再建年代として伝わる年代と合致する。このため、幸淵が了性房旧蹟に坊を再興したのは元亀年間初頭であると考えられる。 正徳6年5月に宝泉院と改められ現在に至る。
宝泉院(ほうせんいん)は、京都市左京区大原勝林院町にある天台宗の寺院。天台宗の三門跡寺院の1つである三千院の参道奥にある。
天台宗
勝林院僧坊
1235年 - 1237年(嘉禎年間)
宗快法印
京都洛北御朱印巡り