室町時代の初期応永年間(1394~1428年)、徳秀士蔭が開祖した臨済宗東福寺派の寺院で、二町四方の寺域を持つ大寺院であったと伝えられています。室町時代の歌人・牡丹花肖柏の供養墓や、利休好みの名品「虹の手水鉢」など堺の文化の深さを物語る品々も残され、中でも本堂内部4室にわたって描かれた障壁画は圧巻です。この障壁画は17世紀前半の狩野派の作と伝えられ、金地に様々な鶴、松、藤などの図案が描かれています。
本堂は書院造りの部屋もある総檜造りで、豪商納屋助左衛門等の居宅を移したものとの言い伝えもあります。本堂は普通禅寺では「方丈」と呼ばれており、お寺の本堂というよりもむしろ住宅風の間取りやつくりとなっています。この建物と内部の障壁画は重要文化財に指定されています。