ながはたべじんじゃ
茨城県常陸太田市幡町539
美濃より、長幡部の祖先である多弖命が常陸國久慈郡太田郷に移り住み、機殿を立てます。この機殿で織られる服は、自分から衣裳となり、裁ち縫いする事がなく、「内幡(うつはた)」と呼ばれたそうです。また、絁を..
美濃より、長幡部の祖先である多弖命が常陸國久慈郡太田郷に移り住み、機殿を立てます。この機殿で織られる服は、自分から衣裳となり、裁ち縫いする事がなく、「内幡(うつはた)」と呼ばれたそうです。また、絁を織る時に人に見られないよう、扉を閉め、中を暗くして織るので、「烏織(からすはた)」とも呼ばれたそうです。どんな剣でも断ち切れなかったこの絁は、年毎に神調として奉られたとの由緒が伝わっています。社名である長幡はこの絁の名前で、これを織り作る者を長幡部と言い、御祭神の子孫がその遠祖を祀ったのが当社であるとの事です
長幡部神社(ながはたべじんじゃ)は、茨城県常陸太田市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。
綺日女命(カムハタヒメノミコト)と多弖命(タテノミコト)