じゅげじんじゃ
滋賀県大津市木戸680-1
創祀年代不詳であるが、木戸城主佐野左衛門尉豊賢の創建と伝えられる。永享元年社地を除地とせられ、爾来世々木戸城主の崇敬が篤く、木戸庄(比良ノ本庄木戸庄)五ヶ村の氏神として崇敬されてきた。ところが元亀二..
創祀年代不詳であるが、木戸城主佐野左衛門尉豊賢の創建と伝えられる。永享元年社地を除地とせられ、爾来世々木戸城主の崇敬が篤く、木戸庄(比良ノ本庄木戸庄)五ヶ村の氏神として崇敬されてきた。ところが元亀二年織田信長の比叡山焼打の累を受け、翌三年社殿が焼失した。当時織田軍に追われて山中に遁世していた木戸城主佐野十乗坊秀方が社頭の荒廃を痛憂して、天正六年社殿を再造し、坂本の日吉山王より樹下大神を十禅師権現として再勧請して、郷内安穏貴賤豊楽を祈願せられた。右記録の通り日吉山王の分霊社で、明治初年までは十禅師権現社と称され、コノモトさんとも呼ばれていた。しかし類推するところ、古記録に正平三年に創立とあるのは、日吉山王を勧請した年代で、それ以前には古代より比良神を産土神として奉斎して来たもので、その云い伝えや文献が多く残っている。当社境内の峰神社は祭神が比良神で、奥宮が比良山頂にあったもので今も「峰さん」「峰権現さん」と崇敬されている。この比良神は古く比良三系を神体山として周辺の住民が産土神として仰いで来た神であるが、この比良山に佛教が入って来ると、宗教界に大きな位置をしめ、南都の佛教が入ると、東大寺縁起に比良神が重要な役割をもって現れ、続いて比叡山延暦寺の勢力が南都寺院を圧迫して入って来ると、比良神も北端に追われて白鬚明神が比良神であると縁起に語られ、地元民の比良権現信仰が白山権現にすり替えられるのである。(比良神は貞観七年に従四位下の神階を贈られた)当社の例祭には五基の神輿による勇壮な神幸祭があり、庄内五部落の立会の古式祭で古くより五箇祭と称され、湖西地方で有名な祭である。明治九年村社に加列、明治四十一年神饌幣帛料供進指定(滋賀県神社庁HPより)
樹下神社(じゅげじんじゃ)は、滋賀県大津市(旧志賀町)木戸に鎮座する神社である。
玉依姫命
旧村社
正平3年(1348年)
一間社流造
5月5日(五箇祭)