のぎたじんじゃ
滋賀県長浜市高月町東阿閉1094
当社は「諸者根元記」に伝える近江の国の気多明神で「乃伎多」の「伎多」の音「気多」に訛ったものが後世、気多明神と称えるに至らしめた。この地一体往昔、安曇の郷と称して安曇連の裔族此地に繁延し、その祖を祀..
当社は「諸者根元記」に伝える近江の国の気多明神で「乃伎多」の「伎多」の音「気多」に訛ったものが後世、気多明神と称えるに至らしめた。この地一体往昔、安曇の郷と称して安曇連の裔族此地に繁延し、その祖を祀ったものと伝える。当社に誉田別命、この地の西方数町の山本山に神社鎮座の地名に負える阿閑淡路守の城くありて、小谷山の浅井氏と呼応した。おそらくその当時この武門が勧請し守護神と崇め祀られ北の八幡宮とも称せられた。天正の賤ヶ獄戦の兵火に社殿炎上し、現在の社殿は寛政9年の造営と記録せられる。当社に古くから「もろこ祭」と称する祭儀が行われた。その本儀は「諸児の祭」で氏子中の稚児の生長を祈ったものであるが、今は9月13日の例大祭に併せ行われ居り、今も「もろこ」を献ずるのである。延喜式内社。(論社)明治9年村社に列し、明治42年神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
乃伎多神社(のぎたじんじゃ)は滋賀県長浜市高月町東阿閉にある神社である。
誉田別命 天造日女命
旧指定村社 式内社
〔本殿〕一間社流造 間口四間四尺 奥行三尺九寸 〔拝殿〕入母屋造 間口二間三尺 奥行二間一尺
例祭日9月 13日 おこない 2月 8日