にいがたけんごこくじんじゃ
新潟県新潟市中央区西船見町5932-300
明治元年10月29日、新潟市常盤岡(現在、新潟市中央区旭町一番町、新潟大学医学部)に「招魂社」(しょうこんしゃ)を祀り、 明治維新の際、国事に殉難したご英霊の慰霊祭を行ったことに始まる。 明治8年..
明治元年10月29日、新潟市常盤岡(現在、新潟市中央区旭町一番町、新潟大学医学部)に「招魂社」(しょうこんしゃ)を祀り、 明治維新の際、国事に殉難したご英霊の慰霊祭を行ったことに始まる。 明治8年、新潟招魂社となり、明治10年には新たに社殿が建立された。 明治34年、官祭社「新潟招魂社」となり、昭和14年(内務省令3月15日)に「新潟縣護國神社」となる。 昭和16年7月、内務大臣の許可を得て現在地に新潟縣護國神社を創建することが決定され、 同17年5月8日より県内各地より延べ25万人の勤労奉仕と80余万円のご浄財により、昭和20年5月に竣工しました。
新潟縣護國神社(にいがたけんごこくじんじゃ)は、新潟県新潟市中央区にある神社(護国神社)である。戊辰戦争から第二次世界大戦までの新潟県出身の戦死者を英霊として祀り、現在の祭神の数は79,729柱となっている。
新潟県出身の英霊
内務大臣指定護国神社・別表神社
明治元年(1868年)
5月8日, 9月8日