創祀以来の言い伝えによると神社創建の遠因は治承三年(一一七九年 平安時代)に遡ることになりますが現存している唯一の記録によれば丸山神社は文禄三年(一五九四年 安土桃山時代)芝西久保丸山竜土(現在の港区愛宕山近辺)と言う地に在った 曹洞宗 常陸 永厳寺の末寺である医王山広岳院の境内に 広岳院の開基(寺を建てた和尚)全梁が 徳川家康の命を受けて創祀した丸山神社であります
その後 江戸幕府の江戸城下整備計画により丸山神社 広岳院は承応二年(一六五三年 江戸時代)に芝二本榎(江戸時代の俗称地名 昭和四十二年の町名変更まで二本榎の町名が續く 現在の高輪一丁目)に換地九四〇五坪が與えられ丸山竜土より移転 以来二本榎丸山神社と称し近隣の氏神として崇敬されてまいりました
丸山神社は丸山竜土時代に二度 現在地に移ってから弘化二年(一八四五年)の青山の大火 大正十二年(一九二三年)の関東大震災など四度の災害に遭っておりますが不思議にも六柱の祭神 神体立像は 焼失 破損を免がれ今も丸山神社のご神体として祀られております
祭神には諸々のご利益があるとされておりますが 特に防火 学業成就 商買繁昌 家内安全の神として崇められております 又境内に在る通力稲荷神社は京都伏見稲荷のご祭神 宇迦之御魂命を勧請してお祀りしてあるもので 弘化二年青山の大火のあと神社再建の節 特に商買繁昌の神を祀る社として別殿とされたものであります
再建された建物は関東大震災によって大破しましたが 氏子の協力のもと早速再建にとりかかり昭和三年(一九二八年)現在の社殿その他の建物が完成致しました
(境内・「創祀の沿革」より)