よしおかはちまんじんじゃ
宮城県黒川郡大和町吉岡字町裏39
鎮座地吉岡は、古くは今村とも紫崎、上の原 とも云った。この社は、はじめ奥州信夫の領主 飯坂右近太夫宗康の氏神であったが、後、宮城 国分松森に移す。 永禄のころ黒川氏鎌倉より 本郡に移住し、下草村(鶴..
鎮座地吉岡は、古くは今村とも紫崎、上の原 とも云った。この社は、はじめ奥州信夫の領主 飯坂右近太夫宗康の氏神であったが、後、宮城 国分松森に移す。 永禄のころ黒川氏鎌倉より 本郡に移住し、下草村(鶴巣) 鶴楯城に入るに 及び社を下草村に遷して、これを祭りしところ 後家滅亡し、元和年中から伊達宗清 (政宗三男) 崇敬して同四年春今の地に遷し奉る。寛永十一 年七月玄米十五石並諸神具を奉納する。 八月十 五日の祭礼には流鏑馬を行い、 家士二十人を警 とす。この年までは大谷郷十一ヶ村の鎮守で あったが、文化十四年三月藩主伊達斉宗当社に 参詣して「黒川総鎮守八幡宮」の神額を掲げ、 宮殿の修復費として金一五、〇〇〇疋、銭五〇、 ○○○疋、酒三樽を供え尊信の誠を捧げ、郡内 の総鎮守とした。嘉永三年には藩主慶邦先祖伝 来の軍旗一流を奉納するなど、藩主、地頭をは じめ一般庶民の崇敬が篤かった。
明治五年三月村社に列し、同四十年三月幣帛 供進社に指定された。同四十一年町内の秋葉、 天神の両社を合祀する。 (縁起、安永風土記)
吉岡八幡神社(よしおかはちまんじんじゃ)と通称される八幡神社(はちまんじんじゃ)は、宮城県黒川郡大和町吉岡にある神社。石の間造の社殿で知られ、焼失する以前は宮城県から重要文化財の指定を受けていた。
応神天皇