ねのじんじゃ
神奈川県横浜市中区日ノ出町2丁目132
創建は遠く推古天皇の時代 (西暦600年頃)と伝えられる。 中世の頃より赤門の東福寺が別当 (兼務) として管理してきた。神社の古事や伝記は、たびたび火災や内戦のため焼失夢散してしまい、その間..
創建は遠く推古天皇の時代 (西暦600年頃)と伝えられる。 中世の頃より赤門の東福寺が別当 (兼務) として管理してきた。神社の古事や伝記は、たびたび火災や内戦のため焼失夢散してしまい、その間の事ははっきりしていない。 この地域に伝わっている事には、この神社は昔、里鎮守とか不入人宮と称していた。 文禄3年の時、松平越前守が、神社の霊地保護の為、御本社の四隅に禁制札を掲げ、人の入場を禁じた。 享保8年には神社境内地を東西43間 (約78m) 南北9間 (約17m) と改められた。 慶応元年 (1865年) には、当時の大田村に原村西中村、上大田地区に祀られていた諸々の神社を合わせて祀ることとなった。 明治6年 (1873年) 7月村社に列せられる。(神祇院) 大正4年 (1915年) 9月境内を拡張し諸般の設備を完成した。 大正5年 (1916年) 10月13日神饌幣帛料供進社となった。 戦後は神社本庁に属す宗教法人となる。
大国主命を祭神とする神社。旧社格は村社である。
大国主命
旧村社
推古天皇の時代 (西暦600年頃)
人不入斗宮