しぶやひかわじんじゃ
東京都渋谷区東二丁目5番6号
古くは氷川大明神といって日下渋谷村、 下豊澤村の総鎮守でありました。創始は非常に古く今、之を詳らかにすべきものがありませんが、慶長十年(一六〇五年)九月に宝泉寺第百代住職実円が記した『氷川大明神宝..
古くは氷川大明神といって日下渋谷村、 下豊澤村の総鎮守でありました。創始は非常に古く今、之を詳らかにすべきものがありませんが、慶長十年(一六〇五年)九月に宝泉寺第百代住職実円が記した『氷川大明神宝泉寺縁起』によりますと、景行天皇の御代の皇子日本武尊東征の時、当地に素盞鳴尊を勧請したとあります。その後、嵯峨天皇の弘仁年中(八百十~二十四)、慈觉大師が宝泉寺を開基し、それより同寺が別当となったとありまして、正徳三年(一七一三)宝泉寺から幕府に出した書上には「起立の年数知れず申候」と見えています。天明二年-(一七八二年)正月五日阿部備中守へ差し出した書類に別当宝泉寺の庫裏から出火し、土蔵が炎上したことが記され、宝物資料などはこの時焼失したと伝えられています。神社の周りには、石器時代の土器や弥生式土器や竪穴住居のあとが掘り出され、非常に古い頃からの文化と部落の中心だったことが知られます。そのことからも渋谷区最古の神社と言えます。『新編武蔵国風土記稿』には、源頼朝が勧請したとか、金王丸が信仰したという諸説がありますが、詳らかではないとあり、享保十七年(一七三二年) の『江戸砂子』の前には遡ることはできません。昔は、松杉の類が鬱蒼と茂り、昼なお暗く渋谷川が門前を流れていかにも神さびたお宮であったらしいことは『江戸名所図会』の絵をみても窺われます。
渋谷氷川神社は、東京都渋谷区東二丁目にある神社。
素盞嗚尊(すさのお)、稲田姫命(くしなだひめ)、大己貴尊(おおあなむちのみこと)、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
寛治6年(1092年)
9月16日