天正時代に天童海が越後から保持し、今の大町付近にてお祀りしていたようです。最上川の氾濫による水害がひどく、慶長の頃、坂の上と呼ばれる梅の古木があった地に移転しました。天満宮は学問の神様菅原道真を祀る京都北野天満宮の御分霊を頂く社で、道真の神徳を求め参詣で賑わいました。鐘楼は名工国松吉右エ門の作で、酒田市指定文化財です。町奉行鱸角兵エの創意により、安永6年に町奉行が鐘つき料を僧侶に支払い時鐘を撞きました。お箸塚や草木塔など珍しいものがあります。境内北側には、宝篋印陀羅仏を納めた塔を二つ並べて浮彫し宝篋印塔半肉双塔があります。室町時代の作といわれ、海船により綿積石の一つとして運ばれてきたといわれています。 昭和51年酒田大火で焼失後、昭和54年に再建されました。