はとりじんじゃ
三重県津市河芸町久知野 1781
当社はもと延喜式内社で、現在地の西方三〇〇メートルの処に奉斎されていたが、大字久知野鎮座の八雲神社ほか一一社と共に、明治四一年四月上野神社へ合祀された。その後、里人達の強い希望により、昭和三年に御旅..
当社はもと延喜式内社で、現在地の西方三〇〇メートルの処に奉斎されていたが、大字久知野鎮座の八雲神社ほか一一社と共に、明治四一年四月上野神社へ合祀された。その後、里人達の強い希望により、昭和三年に御旅所を建設して奉斎してきたが、昭和二六年三月一五日には設立登記も完了して知事に届け出た。式内社の当時は「羽織社」と称えていたことが石碑にみえ、付近に衣手谷(きぬてだに)、服反田(はだんだ)、社宮神(しゃぐじん)などの地名が残っており、その信仰は今の社にも受け継がれ「扇神」「扇さん」「オオギリさん」と慕われている。
《主》大日孁貴尊《合》誉田別尊,建速須佐之男命,伊邪那美命,木花開耶姫命,大山津見神,