いなりじんじゃ
滋賀県栗東市手原3-9
明細書によれば創祀年代不詳であるが、社伝によると寛元三年馬渕広政が此地を領し当社を勧請したとある。広政の子孫手原氏も代々当社を崇敬した。文明三年里内為経社殿を修し神域を拡張する。この里内氏も手原氏の..
明細書によれば創祀年代不詳であるが、社伝によると寛元三年馬渕広政が此地を領し当社を勧請したとある。広政の子孫手原氏も代々当社を崇敬した。文明三年里内為経社殿を修し神域を拡張する。この里内氏も手原氏の同族である。天文四年手原重政武運を祈り大に霊験を得たとして益益尊崇を厚くした。 慶長十七年宮城丹波守豊盛社殿を再建し、明治二年更に改築して現在に至る。 当社はまた里中稲荷大明神とも笠松の宮とも称した、峨峰文集に「路傍有松、其形如傘號傘松其奥有稲荷社」と記され、又東海道名所記に「左の方に稲荷の祠あり老松ありて傘の如し、傘松の宮と云ふ」と記され、街道に添っていた為江戸時代には傘松の名も高かったと考えられる。明治十四年村社に加列。 (滋賀県神社庁より)
JR西日本 草津線 手原駅より徒歩3分
無料
約15分
無し