当社の創始については、『勢国見聞集』に「飯南郡穴師神社式内立田村に坐す。神名帳多気郡なり。祭神天多奈波大姫命。俗に杉社と称す。杉一株あり」とあって、『勢陽五鈴遺響』に「式内穴師神社、今俗同処ノ北田畔ノ間ニ杉社ト称スアリ。此ニ充ツ祭神穴織神。上七見ノ奈々美神社ヨリ十三丁」と記されている。また『朝見村沿革史』に「村社穴師神社ハ大字立田字里中ニ鎮座シ、素戔嗚尊ヲ祀ル。本社ハ延喜年間以前ノ創建ニシテ古来ノ鎮座地ハ三本杉トアリ、然ルニ何時カ之ヲ村内ニ遷社シ、里俗其処ヲ里中ト唱フルニ至レリ。大和国城上郡兵主神社及ビ同郡大兵主神社共ニ穴師村ニ鎮座、而シテ祭神ハ素戔嗚命ナリ。当社祭神モ固ヨリ素戔嗚命ナレバ其村名ヲ取リテ当社ノ社号トセシナルベシ。」とあり、福村正衡氏の『式内神社旧地発見上申書』には「穴師神社古址、多気郡佐奈村大字神坂字北山、金剛座寺所在地ニアリ(略)穴師神社トシテ今飯南郡朝見村大字立田里ニ配置セラレシハ中世所在ヲ失ヒシヨリ、学者達ノ考証ニ依テ祀祭スル所ナリ(略)佐奈村大字神坂字北山ノ山頂ニ天台宗魔尼山金剛座寺」ト号ス古刹アリ(略)該寺ハ此穴師神社ノ所在地二別当寺院ヲ建立シテ穴師寺又ハ穴師子寺トモ云ヒシナリ」と述べられている。