とうぜんやくしにょらいどう
北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉
1930年(昭和5年)に、船津彦蔵・坂井庫三郎・佐藤運作・坂井林四郎・大沼甚四郎・篠原又兵衛・坂井六郎・坂井肇・関喜三郎らは、洞爺湖温泉の発展と安全を願って薬師如来堂の建立を発願し、福島県喜久田村..
1930年(昭和5年)に、船津彦蔵・坂井庫三郎・佐藤運作・坂井林四郎・大沼甚四郎・篠原又兵衛・坂井六郎・坂井肇・関喜三郎らは、洞爺湖温泉の発展と安全を願って薬師如来堂の建立を発願し、福島県喜久田村(現在の郡山市)の竜角寺住職・鈴木信栄師を願主として勧進を始め、虻田町(現在は洞爺湖町)の山本庄太郎が請負人となって堂宇を建立しました。 御本尊の薬師如来像は、この浄業を理解した奈良県の長谷寺より下付された江戸時代後期のもので、当時の真言宗豊山派管長・加藤精神大僧正により開眼され、同年7月8日の入仏式に併せて送られました。 堂守は願主の弟子である村上信聖師が派遣されて洞爺湖温泉に来住し、それ以来、湯前薬師如来は洞爺湖温泉住民の心の支えとして信仰を集めてきました。
なお、当初に堂宇があった場所は最初に発見された泉源に近い現温泉ホテルの付近でしたが、道路の変更などのためやむなく移転となり、村上師は新しく「温泉大師堂」を建立して薬師如来像を遷座したといわれています。 その後、1955年(昭和30年)頃、高齢となった村上師は福島県へ帰郷するにあたり、斉藤東四郎・坂井六郎を介して北海道三十三観音霊場の札所である虻田町の亮昌寺に薬師如来像を奉納、亮昌寺では本堂にこれを安置して篤く祀りつづけてきましたが、温泉地区住民は、2000年(平成12年)有珠山噴火からの復興を機に、この由緒ある薬師如来像を再び洞爺湖温泉町にお迎えし、衆生済度の薬師如来とともに世紀の洞爺湖温泉を建設していきたいという願いから、堂宇を建立し現在地に「湯前薬師如来像」を遷座しました。
1930年(昭和5年)
薬師如来
2004年(平成16年)
・JR室蘭本線「洞爺駅」から道南バスで約20分の「洞爺湖温泉バスターミナル」で下車し、徒歩で約7分(約450m) ・道央自動車道「虻田洞爺湖IC」から車で約10分(約4.5km)
無料
約10分
無し