きぬがささん あんらくじ
滋賀県東近江市能登川町986
東近江市の繖山中腹にある天台宗の寺院で、近江與地志略には聖徳太子の開基で、比叡山延暦寺横川中堂の末寺と記されている 一説に聖徳太子は、大阪の四天王寺建立(西暦593年)後、近江の地に四十八ヵ寺を建て..
東近江市の繖山中腹にある天台宗の寺院で、近江與地志略には聖徳太子の開基で、比叡山延暦寺横川中堂の末寺と記されている 一説に聖徳太子は、大阪の四天王寺建立(西暦593年)後、近江の地に四十八ヵ寺を建てたという。安楽寺は、その第一番目(推古11年 西暦603年)の寺と伝えられ、名称も無量寿院といった。繖山には五つの寺(繖山五山)があり、五観音の一つとして創建時の千手十面観音の像は聖徳太子の作と云われていた。西暦870年代に天台宗派になり、寺号も安楽寺となる。その後、麓より本坊までの両側に坊舎が建ち、修行僧や僧兵が多く寄ってきて末寺の宗派は寺院も増えた。年々隆盛になっていく威容に恐れ、天正4年4月(西暦1576年)伊庭山に鷹狩りに来た織田信長によって焼き払われる。その後、江戸中期に再興されるが、嘉永6年(西暦1853年)11月火災により焼失する。明治12年(西暦1879年)再建されるが、明治32年(西暦1899年)再び火災、残っていた古文化財に相当するもの殆ど灰燻となる。本山はじめ周辺宗派寺院、檀信徒が総力を挙げて明治35年5月に復興され現在に至る。
繖山
天台宗
推古11年(西暦603年)
千手十一面観世音菩薩
聖徳太子
びわ湖百八霊場 近江湖東二十七古刹霊場
JR能登川駅東口より車で5分 徒歩25分
無し
20分
有り