しんせんがくじ
福岡県福津市津屋崎3丁目19
町の観光開発に熱心だった故児玉恒次郎氏が、大正2年(1913年)に創設(建立)した赤穂四十七士の墓です。 福本日南の「義士銘々伝」を浪曲師として有名な桃中軒雲右衛門の語りで全国に広めた児玉氏の功績..
町の観光開発に熱心だった故児玉恒次郎氏が、大正2年(1913年)に創設(建立)した赤穂四十七士の墓です。 福本日南の「義士銘々伝」を浪曲師として有名な桃中軒雲右衛門の語りで全国に広めた児玉氏の功績が認められ、東京高輪の泉岳寺から特別に許可を受け、寺号と47人の義士の墓砂を分霊として持ち帰ったものです。 毎年、12月14日の討ち入りの日には、児玉氏の親族などにより義士祭が行われており、法要やそばの接待が行われています