えんじゅうじ
山形県北村山郡大石田町次年子95
白鳥十郎藤原長久の家老、青柳隼人は主君が誘殺されて後敵の目を逃れ羽山に身を隠し、烏川(銅山川支流)の寺屋敷にて暫しの間立て籠もり、その後次年後に逃れこの地に主君の首級を埋葬したと言われている。 ..
白鳥十郎藤原長久の家老、青柳隼人は主君が誘殺されて後敵の目を逃れ羽山に身を隠し、烏川(銅山川支流)の寺屋敷にて暫しの間立て籠もり、その後次年後に逃れこの地に主君の首級を埋葬したと言われている。 隼人は世襲制をとる浄土真宗を開基することにより主君の末代までの繁栄を念願し成就するために今日に趣き出家して名を定龍と改めこの地に三十年間留まったと言われている。斯くして隼人は距離の白鳥に帰り照覚寺を建立している。明治初期まで子孫が来寺しては菩薩を託した当時の末代を見守ったと言われている。
当寺院は天正12年6月7日、山形城城主最上義光に誘殺された白鳥城、谷地城城主白鳥十郎藤原長久の老臣平林玄馬(別名信平)が主君の英霊を守護せんとし、発心し了円と改名、当時を開基した事から始まる。
浄土真宗
真宗大谷派
ありあ