しょうぎょうじ
千葉県木更津市中島2209
当山は金田庄中島郷字野本輪の長泉屋敷という処に創建されたと伝えられる。融満上人を開山とするが、その創立年次は不詳である。また第二世から五世までの記録が皆無であるが、この地における大洪水の際、建物の流..
当山は金田庄中島郷字野本輪の長泉屋敷という処に創建されたと伝えられる。融満上人を開山とするが、その創立年次は不詳である。また第二世から五世までの記録が皆無であるが、この地における大洪水の際、建物の流失と共に、過去帳および古書文書類が悉く泯滅したためである。 慶長元年、中島町割縄打の際、御代官・阿部八右衛門殿の計らいをもって当寺境内が定められ、現在の寺地・縦40間横35間となった。 当山第十一世・先譽上人の代には、徳川二代将軍・台徳院殿御送葬のみぎり、中 島所領与力頭・松平大隅殿、植村帯刀殿両人の吹挙により幕府から正行寺領の御朱印を賜った。(慶安2年10月17日)。この大猷院殿御朱印の際の寺社奉行は安藤右京殿・松平出雲守殿でその寺領は10石と記されている。 この中島の地には他宗寺院が五ヶ寺も建立され近隣に位置し、小規模ではあるが地元の寺町として当山がその中核を為している。中でも、民衆の観音信仰には根強いものがあり、毎月17日には参拝の人で賑わう。また、浄土宗独自の法要である「お十夜」が、他宗派でも修されるという習慣は、歴代諸上人の教化の賜物として特筆すべきものである。 (「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より
華香山
長清院
浄土宗