旧神饌幣帛料供進神社。通称「銅(かね)の鳥居」さんと親しまれている。昔、八万村は、朝宮神社(上八万町広田)の氏子であったが、上八万村に宅宮(えのみや)を祀ることになり、下八万の馬場山に一社を建てて金毘羅大権現を祀ったのが当社の起源である。その後、橋本の八幡宮を合祀、慶長年間(1596~1615)現地に移った。藩祖蜂須賀家政公の崇敬厚く、神事料2石4斗の寄進並びに当社芝床続きの山、1町3反の土地を与えられた。慶長9年(1604)社殿建立と伝わる。有名な銅(かね)の鳥居は、2代藩主至鎮公の時の建立で、その後50年毎に建て替えられた。桧を銅板で巻いた堅牢な両部鳥居でその名がついた。明治8年(1875)八幡神社と改称し郷社に列した。