がんじょうじ
山口県美祢市美東町大田5684
百済の国の聖明王の第三皇子であった淋聖太子が推古天皇の御世に、聖徳太子に教えを請おうと渡来された折りに、航海の安全守護の為に供奉されたとの伝えがあります。淋聖太子は、西国第一の守護大名であった大内氏..
百済の国の聖明王の第三皇子であった淋聖太子が推古天皇の御世に、聖徳太子に教えを請おうと渡来された折りに、航海の安全守護の為に供奉されたとの伝えがあります。淋聖太子は、西国第一の守護大名であった大内氏の祖先だと言われている方で、佐波郡多々良浜(現在の防府市)に上陸され、同郡高倉の地に瀬戸内の守護神として祀られ、沖を通る船はよくよく礼を尽くすように伝えられました。時代とともに言い伝えは薄れ、海難事故が多発するようになり、大内氏11代当主茂村の御世に、海の見えない平川(山口市)の毘沙門山に環座され、山の名前も高倉山(たかくらさん)と改称されました。この頃より農業の神として信仰を集め、現在に至っております。明治10年に明治政府の寺社統合令により、三宝荒神様が祀られていた願成寺が廃寺にされていた頃、明治12年に現大田の地に願成寺の再興が叶い、三宝荒神様が祀られたものであります。この時毘沙門天像も同時に遷座され、今も三宝荒神像の守り神として同じ社の中に祀られています。また、三宝荒神像は秘仏とされ、平時は逗子の扉が閉じられ拝顔できませんが、25年ごとの三宝荒神祭(2/28)の日(次回は2030年)に扉が開かれ御尊像を拝む事が出来ます。
高倉山
曹洞宗
寄添寺
有り