創建は正平3(1348)年の室町時代と伝え られる。
祭神:建御名方命(たけみなかたのみこと)、應神天 皇(おうじんてんのう)倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
その昔、白川が水口前からこの地に氾濫を来し、大水害が続いたので、被害防除と氏子安全の 祈願を込め、治水や農耕の神である「健御名方命」 を祭神とした諏訪神社(社紋は梶の葉)を創建、 ご鎮座された。
宝永5(1708)年の江戸中期に田仲と向組の氏神として社殿を再建。更に 本殿を寛政9(1797)年の江戸中期に建立。明治3年から村社となった。
大正6〜9(1917〜1920)年にかけて町屋敷の八幡神社(祭神は應神 天皇)、水口の稲荷神社(祭神は倉稲魂神/うかのみたまのみこと)を合祀して豊里神 社となり、現在に至っている。境内の石鳥居脇の子爵平田東助氏真筆による社標 がそのことを物語っている。
三社合祀を機に社殿等が一層拡充し(近年では平成9年に社務所改築、平成 24~25年には拝殿や本殿の大改修が行われた)、時庭氏子全体の信仰の場と して崇拝されている。
本殿の建物と彫刻は名工の作として、荘厳で美麗の極み、近年の稀な文化的 価値があるといわれ、地元氏子中の誇りである。