きたなかはちまんぐう
栃木県芳賀郡益子町北中825-1
益子城主因幡守之宗の子孫、石岡三郎右衛門尉が那須一族と平家討伐の後、引き上げた際、京都石清水八幡宮に参詣し武運を守護されし霊験を厚く謝し、御分霊を勧請し、お宮を建て社殿両側にけやき2本を植えて祀った..
益子城主因幡守之宗の子孫、石岡三郎右衛門尉が那須一族と平家討伐の後、引き上げた際、京都石清水八幡宮に参詣し武運を守護されし霊験を厚く謝し、御分霊を勧請し、お宮を建て社殿両側にけやき2本を植えて祀ったと伝えられている。現在はその1本が残されている。(境内由緒参照)
譽田別命
治承年間1177-81頃の創立と伝わる