旧神饌幣帛料供進神社。今切城ゆかりの地として旧城主篠原玄蕃頭を祀る。天正5年(1577)3月、三好長治は、丹生谷茨ヶ岡城(井の原又は岡城)に集結した細川真之を追って荒田野(新野)口まで兵を進めたが、一宮長門守・伊沢越前守らの反撃にあい、玄蕃頭の居城今切城まで退いた。やがて今切城も落城、長治は、長原月見丘(現松茂町)で自刃、玄蕃頭も大岡の家臣郡勘助のもとへ逃れたが、勘助の裏切りにより、古井戸に隠れていたところを捕らえられて殺された。玄蕃頭はキリシタンであったため、自害をしなかったという。これを悲しんだ村人等が城跡に一祠を建立しその霊を慰めたのが当社の始まりであると伝わる。もと篠原大明神と称したが、明治6年(1873)篠原神社と改称。大正元年(1912)加茂村の若宮神社と八坂神社を合祀した。